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TANZANIA便り2002.7+8

*この便りはトロワ・タンザニアスタッフのMUNAWARさんより隔週(3日と17日)で送られてきます。
MUNAWARさんはザンジバルに住む30代の女性です。MUNAWARさんへのメールは
こちらまで


便り49「サバサバに行こう!」(2002.7.20)
便り50 「コモンウェルス大会―マンチェスター2002」(2002.8.17)
便り49「サバサバに行こう!」(2002.7.20)



ジャンボ! アフリカフェフレンドの皆さん、お元気ですか?
ザンジバルは、朝晩の涼しさとともにオレンジも甘くなり、いい感じの日々が続いています。

ところで、私たちは、今年もサバサバに行ってきました。日本の七夕、7月7日は、タンザニアの商業祭。数字の7のスワヒリ語読み「サバ」を重ねて「サバ・サバ」の日として定着しており、毎年7月7日を挟んだ10日間に渡って、ダル・エス・サラーム郊外にあるサバサバ会場で、国際貿易フェアが開かれています。



このサバサバは、16万平方メートルの会場に各国、各社のパビリオンが立ち並び、国中から何十万人もが訪れるというタンザニア最大規模のイベントでもあり、もちろんアフリカフェの製造元タニカ社も毎年恒例で出展しています。アフリカフェは、各国の製品が立ち並ぶサバサバホールのブースに並べられていたのですが、あの金色ボディがとっても目立っていて、すぐに見つけることができました。

サバサバは、商品の展示だけではなく、各国の文化の紹介やタンザニアにある各団体の活動や、研究発表の場でもあります。日本からは、日本文化の紹介ということで、日本大使館主催で、今年もタンザニア柔道大会(JUDO JAPAN CUP---SABASABA2002)が催され、ダル・エス・サラームチーム10名、モシ警察チーム6名、ザンジバルチーム8名、合計24名でトーナメント戦を行い、体重無差別でタンザニア1を決定する公式戦が衆目の中で行われました。

結果は、ベスト8のうち7人がザンジバル選手という試合展開となり、1位から4位まですべてザンジバルが独占する結果になりました。今後は、3チーム全体のレベルアップがタンザニア柔道界の課題と言えそうです。

1位は、163cm、65kgと小粒ながら、抜群のスピードと切れのいい内股が武器のアリ・ジュマ選手。試合後、アリ選手に感想を聞いてみると、「実は、昨夜、サバサバ・チャンピオンになった夢を見たのです。今こうして優勝カップを持つことができて、本当に夢がかなったと実感しています。大きな大会でチャンピオンになれて、すごく嬉しいです」という言葉が返ってきました。

2位は、タコ人間の異名をとるほど柔らかい体を生かした寝技が得意のイディ選手。彼は、先月結婚したばかり。そして、結婚式の1週間後に、小さい頃から仲のよかった妹さんが急死するという不幸があり、その上、大会直前の練習中に、膝まで痛めてしまうという状態でのサバサバ大会出場となったのですが、執念ともいえるような粘りの柔道で、見事準優勝に輝きました。



「この1カ月の中で、人生の大きな喜びと悲しみが一度に来てしまったけれど、今日のサバサバ大会で準優勝という柔道の大きな喜びを与えてくれた神に感謝しています。柔道をやめなくて本当によかったです」と語る本人はもちろん、彼の状態を知っているザンジバルの面々も、皆自分のことのように喜んでいました。

3位は、おしゃべりでやんちゃなところから、ドナルドダックをもじってドナルド・ジュマと呼ばれているジュマ選手。腰の重さと一本背負い、大腰の得意技で勝ち星を重ねました。
ジュマ選手は、4月に行われた体重別選手権、5月のケニア遠征での実績が認められ、アハマディ選手と2人、7月25日から開かれるコモンウェルス・マンチェスター大会への出場が決まっており、サバサバから帰った今も、ザンジバル武道館で、強化合宿の最中です。

このコモンウェルス大会は、日本ではなじみみがありませんが、マラソンのイカンガー(*インタビュー記事へ)も、この大会で国際デビューを果たし、世界から注目を浴びるきっかけとなった4年に一度開催される大きなスポーツ大会の1つです。

昨年末からタンザニアオリンピック委員会の中では、このマンチェスター大会出場種目を選ぶ会議が何度も開かれていたのですが、最終的にタンザニアからマンチェスター大会に出場することが決まったのは、約20の候補から陸上、ボクシング、柔道の3種目、もちろんタンザニアの柔道選手が、世界大会に出場するのは初めてのことです。目標は1回戦突破。ジュマ選手(73kg級)とアハマディ選手(60kg級)が、初めての世界大会の舞台で、実力を出し切れるよう、皆さんも応援していてくださいね。

ところで、このサバサバ会場には、子供から大人まで楽しませるアトラクションが揃っています。お面をかぶった人がガムやビスケットを無料で配っていたり、コーラの早飲み競争があったり、生バンドの演奏はもちろん、観覧車やメリーゴーラウンドがある移動遊園地があるかと思えば、「しゃべる生首!」という口上のお化け屋敷まであって、歩いているだけでわくわくしてきます。

私は、今年もサバサバ動物園に行ってきました。日本の皆さんは、タンザニアの人々は動物に囲まれて暮らしていると思うかもしれませんが、小動物はまだしも、象、キリン、シマウマなど大きな動物は特定の場所でしか見られないので、動物を見たことがない人が多いんですよ。だから年に一回10日間だけ作られるサバサバ動物園は、毎年大人気です。

サバサバ動物園では、動物のおりの前には黄色いTシャツを来た係員が、手に棒を持って立っています。この係員の仕事は、近づきすぎたり、動物に危害や餌を加える観客を取り締まることではなく、観客の要望に応えて、寝ている動物をたたき起こしたり、口をこじ開けたりすること。

中には、自らハイエナが3匹もいるオリの中に入って、ハイエナが観客のそばに寄るようにと、ずっと棒を振り回している係員がいたかと思えば、なんとワニのオリに入って、ワニの口を棒でこじ開けては、「見てごらん。ワニの口の中は黄色いんだよ」と丁寧に説明している命知らずの(?)係員までいてびっくりしました。

大きなハリネズミは、係員に棒で突っつかれるたびに、針をぶわっと逆立たせて、観客を喜ばせていました。でも観客は数珠繋ぎで次々に通ります。係員はサービス精神からとはいえ、あまりにもひっきりなしに棒で突付くので、ハリネズミが気の毒になるほどでしたが、サバサバ期間が終わったら、動物たちはまた元の場所に放されると聞いてちょっと安心。10日間の辛抱だから、サバサバ期間中は、人間を喜ばせてやってくれよというところなのでしょう。でも、動物たちが一生オリの中で過ごす日本の動物園じゃあ、こうはいきませんね。

ということで、今日は、第26回サバサバ国際貿易フェアの様子をお伝えしました。サバサバは、毎年七夕の頃に開かれます。この時期にタンザニア旅行をプランされる方は、サバサバ会場に足を運ぶのも一計かと思います。

それでは、今日はこの辺で。次回の便りまでお元気で。

GOOD LUCK!!
ムナワルより

便り50 「コモンウェルス大会―マンチェスター2002」(2002.8.17)



ジャンボ! アフリカフェフレンドの皆さん、お元気ですか?
私たちは、第17回コモンウェルスゲームズ(英連邦競技大会)のため、約3週間ザンジバルを留守にして、イギリスのマンチェスターに行っていました。マンチェスターは雨が多く、驚くほど寒くて、滞在中ずっと長袖で過ごしました。イギリス人の中には、コートを着ている人までいたほどです。日本の秋、しかも晩秋といった感じでした。

さて、今日は、コモンウェルス大会についてお話ししましょう。これは、過去、現在も含めて、英連邦下にあった国々を集め、それぞれ独立国として認め合いながらも、連帯しながら歩んでいこうという主旨のもと、4年に一度開催されるスポーツ大会です。コモンウェルス大会は、日本ではなじみがないので、さほど大きな大会ではないのかと思いきや、1930年にハミルトンで開催されて以来、4年ごとにおこなわれ、今回で17回目。特に今回は英国史上最大規模のスポーツイベントということで、参加国72カ国、参加選手約6,000人、ボランティア5,000人という、まさに英国主催のオリンピックという感じの大掛かりな大会でした。

7月25日の開会式には、大観衆の見守る中、歌や踊りはもちろん、バルーンは飛ぶわ、花火は上がるわ、女王陛下護衛のエアフォースまで飛ぶ中、赤と黒の軍服姿の兵隊さんが登場、続いて各国選手団の入場行進で盛り上がった後で、聖火の代わりに、コモンウェルス大会の象徴であるジュビリー・バトンが、最終ランナーによってスタジアムに運ばれ、エリザベス女王に手渡されました。

このジュビリー・バトンは、3月11日に英国を出発し、カナダ、ナイジェリア、ブルネイ、マルタなど6大陸21カ国を旅してきたもので、タンザニアでも1日バトンリレーがおこなわれました。その後、エリザベス女王による開会のスピーチがあったのですが、美しいエメラルドグリーンのスーツで身を包んだ女王は、若々しくかわいらしい声でしたよ。



さて、タンザニア選手団は、総勢35名。陸上は、2000年9月に横浜で800m走タンザニア記録を24年ぶりに更新した(1分59秒58)ルイザ選手をはじめ、世界で活躍中の中長距離のスター選手がごろごろ。ボクシングは、ドン・キングからアプローチがあったマツムラ選手の弟で、昨年の全アフリカ大会の金メダリスト カリーム・マツムラ選手を筆頭に、同じく全アフリカ大会銅メダリストで、オリンピックにも出場経験があり、人望もあるムゾンゲ選手をキャプテンとする強力チームで乗り込みました。柔道は、国際大会初出場。2人揃って一回戦突破が、柔道チームの目標でした。

ところで、今大会の大きな特徴は、通常はパラリンピックと称して、場所も日程も別に催される障害者の競技を、同じ日程の中に組み入れて大会を進行するという初めての試みがおこなわれたことでした(例えば、陸上であれば、健常者の競技の後に、車椅子レースがおこなわれるといったぐあいです)。障害者の競技は、陸上、重量挙げ、ローンボール、卓球で、タンザニアからは重量挙げにアジジ選手とイサヤ選手の2人が参加しました。
 
選手村には、マンチェスター大学の寮が使われ、作り付けの机、椅子、戸棚、ベッド、洋服ダンスがコンパクトにまとまったシングルルームを、各選手一部屋ずつあてがわれ、食事は広いダイニングで24時間フル支給。イタリアン、ヨーロピアン、インド、中華料理からファストフードまで、さまざまな料理が食べ放題。

果物、デザート、飲み物、アイスクリームまで何でもござれの豪華さで、毎日何を食べようかと迷ってしまうほど。ボクシング、柔道、レスリングといった体重別種目参加の選手たちは、目の前にずらりと並ぶご馳走の誘惑を振りほどくのがとても大変そうでした。ちなみに、私がもう一度食べたいなあと思うのは、七面鳥のパイ、バニラアイス、サーモンのムニエルと焼きそばです。とってもおいしかったですよ。

さて、大会初日、タンザニアチームは、男子10,000mで3位(ジョン・ユーダ選手)、5位(マルティン・スーレ選手)に入賞し、存在をアピール。そして、大会3日目に男子マラソンでフランシス・ナアリ選手が金メダルを獲得という快挙に、タンザニアチーム全員が沸き上がりました。

レース序盤から先頭集団にいたフランシス選手は、21km地点で派手に転倒、その際に肘から腕を大きくすりむき、血だらけになってしまうというアクシデントが起こり、コーチ陣の誰もがフランシス選手の入賞は消えたと、諦めたそうです。しかし、それにもかかわらず、フランシス選手は、すくっと立ち上がると、黙々と走り出しました。そして、また先頭集団に追いつき、ゴール時点では2位との差が46秒という独走状態でのゴールイン(2時間11分58秒)。そのときフランシス選手は、ゴールしたことがわからず、そのままもう1周ダッシュで走ってしまい、それにつられて2位に入ったケニアの選手も余分に1周するというハプニングもありました。



私はこのフランシス選手と、ちょうどマラソン出場前日に、たまたま一緒に宿舎で陸上競技のテレビ中継を観ていたのですが、そのとき、何気なく「マラソンはいつなの?」と聞くと、「明日の朝」という返事。その後に小さな声で、「実は今、僕は心臓がどきどきしているんだ。でも、レースの前日はいつもそうだから、問題ないよ。ここ3年ほどいい成績が残せていないし、2年前のマラソンでも体調を崩して完走できなかった。僕は、30歳を過ぎているから、今回のレースが最後のチャンスだと思っている。アリューシャにいる妻と子のためにも何が何でもがんばらなくては。でも、この大会に向けて、十分な走りこみをしてきたから、その点では自信がある。後は、神を信じて走るだけさ」という言葉が続きました。

でも、実はタンザニアチームでメダルを期待されていたのは、もう一人のマラソン走者サラホ選手で、このフランシス選手は、1992年のホノルルマラソンで5位に入賞して以来、何度か海外マラソン大会に出場しながらも、成績が振るわず、出発直前になるまで候補外だったのだそうです。

しかし、コモンウェルス大会最終選考会で10,000mに参加したときの走りが素晴らしく、タンザニア陸上界の生き字引と呼ばれ、1974年ニュージーランドで開かれたコモンウェルス大会で、1,500m走で世界記録を達成したフィルバート・バイ選手をはじめ、数々のメダリストを育ててきたザンビ氏(タンザニア・オリンピック委員会書記長)に認められ、マラソンでの出場が急遽決定したのだそうです。

そんないきさつがあったので、選手村でタンザニアがマラソンで金メダルを取ったと聞いたときも、てっきりサラホ選手だと思ったのですが、金メダルを持って帰ってきたのが、前日に話したフランシス選手だと知って、思わずやったー! と飛び上がりました。

宿舎に帰ってきたフランシス選手は、「転倒したとき、これで止めようという気持はまったく起きなかった。この大会で完走するために自分はきびしいトレーニングをしてきたのだから、絶対に完走するんだという気持ちだけだった」「コモンウェルス大会で金メダルを取ったから、きっと外国からマラソン大会出場への依頼が来るだろう。これからも外国に出て、どんどん走って、アリューシャで待つ妻と子供に楽な生活をさせてやりたい」「金メダルは、自分のためであり、タンザニアの国のためであり、陸上競技に関わるみんなのためになると思う」と、前日と同じように、淡々とした口調で、静かに語ってくれました。

宿舎からメインゲートに続く道は、大会が始まると、種目ごとにメダリストたちの名前が刻まれ、チャンピオンロードとなっていたのですが、その中に「男子マラソン ゴールド タンザニア フランシス・ナアリ」とあるのを見つけたときは、とても感激しました。

さて、陸上でメダル2つを獲得して活気づいたタンザニアチーム。ボクシング、柔道、障害者重量挙げも続けという勢いで、それぞれ出陣していきましたが、残念ながらボクシング(4人1回戦負け 2人2回戦負け)、柔道(2人とも1回戦負け)、重量挙げ(規定に達せず)という結果で終わってしまいました。やはり、国際大会で実績を挙げるというのは、本当に難しいことだとしみじみ思いました。

コモンウェルス大会で、タンザニアチームの一員として過ごした日々は、どの場面をとっても、私にとって忘れられない思い出であると同時に、世界各国の人々と、いろいろな形で触れ合えたことも、大変貴重な経験となりました。中でも、今大会で、私の心に強く残っているのは、50m自由形の障害者水泳部門で世界新記録を達成した南アフリカのナタリー選手の姿です。

選手村に設置されている大スクリーンでは、毎日各競技の生中継がされており、1日に何十人ものメダリストたちが誕生し、満面の笑みをたたえた優勝者のアップが映されていました。どの人も、世界のトップを極めただけにオーラが漂っていて、ぴかぴか輝くような印象を受けはしましたが、テレビから離れると、顔が思い出せないといった感じでした。しかし、その中で、表彰式で金メダルを首から下げて微笑むナタリー選手の眼の力強さが、強烈に私の頭に焼きつきました。

そして、その翌日、選手村の中のインターネットカフェから出て、階段を下りたときにすれ違った女性がいて、何気なく顔を見ると、きのうテレビで見た、あの印象的な目が飛び込んできました。思わず「あっ、きのうはおめでとうございます!!」と叫んで、少し立ち話をしたのですが、そのときは「あなたもメールを送りに行くの?」なんていう他愛のない話しかしないで別れてしまいました。



そして、8月4日の閉会式。マンチェスターはイギリスで一番雨がよく降る町という言葉に違わず、その日は盛大な大雨。スタジアムの屋根なし席に座った各国選手団は、皆支給されたカッパを着つつも、びしょぬれ状態。そんな中、本大会で世界新記録を達成した最優秀選手として、舞台に登場したのが、あのナタリー選手。またも「あっ、あの目の人だ!」と嬉しくなって、雨にぬれるのも忘れ、立ち上がって思い切り拍手しました。

後で知ったことは、ナタリー選手は、実は小さい頃からの障害者ではなく、前回マレーシアで開かれたコモンウェルス大会には、健常者として14歳で参加しており、将来を有望視されていたスイマーの一人だったそうです。2001年に交通事故で左足を失い、再起不能になりつつも、不屈の魂でプールに戻り、なんと南アフリカで開かれた水泳競技では、健常者の水泳大会800m自由形に出場して完泳。今大会には障害者水泳50m自由形で出場、見事世界新記録を出したというエピソードの持ち主でした。そして、彼女は今後も障害者部門のスイマーとしてやっていくか、健常者の中に混じって参加していくかを迷っているのだそうです。

ナタリー選手の放つ、圧倒されそうな力強い目の輝きは、こういった背景から備わったものだったんだなと、後から彼女のエピソードを知って思いました。メダリストにはそれぞれのヒストリーがあり、メダルを勝ち取った瞬間には、誰もがものすごいオーラを発するものですが、日常場面でふとすれ違っただけでも、オーラを感じさせてくれたナタリー選手は、18歳とは思えない風格でした。ナタリー・ドゥ・ディクソン、弱冠18歳。私にとっては、あのインターネットカフェの下でのナタリー選手との出会いが、コモンウェルス大会の宝物となりました。あのとき、メールを出しに行ってよかったなあ。

大会期間を通して、選手村の中は、筋肉隆々の重量挙げやラグビー選手、歩く電信柱集団(?)のネットボールチーム、素晴らしく美しい足を持った陸上選手たち、おば様(?)の多いローンボール選手陣(芝生の上でやるボーリングのようなスポーツ)、その中に混じって、車椅子の人や片手がない人がいたり、ダイニングルームでは、両手がカギ状になっている人が隣りに座って食事をしていて、思わず上手に食べられるものだなあと感心してしまったり、といった感じで、健常者と障害者が当たり前に混じっていられる空間であり続け、本当の社会のありかた、あるべき姿を、私たちに提示しているような気がしました。

4年後は、オーストラリアのメルボルンが開催地だそうです。「4年経ったら、また会いましょう」を合言葉に、たくさんのエピソードを残して、我等タンザニアチームは、8月5日早朝にマンチェスターの選手村を後にし、マンチェスター→ ロンドン→ ドバイ→ ダル・エス・サラームという経路で8月6日夕方、タンザニアに帰ってきました。

ということで、今日は、第17回コモンウェルス大会の模様を綴ってみました。お話ししたいことがたくさんあって、ついつい長い手紙になってしまいました。

それでは、今日はこの辺で。
次回まで、GOOD LUCK!!
BY ムナワル




NO.1「ジャンボ!」(2000.4.15)
NO.2「タンザニアのゴールデンウィークは大雨期の真っ最中」(2000.5.10)
NO.3 「ジャンボ、ベイビー! (こんにちは、赤ちゃん)」(2000.5.18)
NO.4「カンガ(布)は語る」(2000.5.25)
NO.5 「日本はぼた餅、タンザニアはタコとサメ!」(2000.6.12)
NO.6「リズム感のルーツは子守唄にあり」(2000.6.28)
NO.7「日本は七夕、タンザニアはサバサバ!」(2000.7.11)
NO.8「アフリカフェの故郷ブコバ」(2000.7.16)
NO.9「アフリカフェの生みの親、TANICA社」(2000.7.16)
NO.10「コーヒーに最適な土地、ブコバ」(2000.7.18)
NO.11「ブコバでは、無農薬が当たり前」(2000.7.18)
NO.12「恐怖のこうもり男」(2000.7.18)
NO.13「小規模だからこそできる有機農業」(2000.9.11)
NO.14「オリンピックって何?」(2000.9.27)
NO.15「タンザニア式炭焼きケーキ」(2000.10.8)
NO.16「自然と人間のハーモニー」(2000.10.19)
NO.17 アロマティックライフの勧め (2000.11.1)
No.18 アフリカフェ・アロマの秘密(2000.11.11)
NO.19「続アロマティックライフの勧め」(2000.11.21)
No.20 「ラマダーン風景」(2000.12.11)
No.21「ラマダーン、明けましておめでとう」(2001.1.11)
No.22「バブが語る昔のコーヒー事情」(2001.2.4)
No.23「コーヒー愛飲歴70年、ビビが語る」(2001.2.4)
No.24「セネネ(バッタ)は愛の証」(2001.2.17)
No.25「バナナ酒ルビシ」(2001.3.11)
No.26「びっくりバナナ大賞」(2001.3.18)
No.27「FOODEX JAPAN 2001報告」(2001.4.5)
No.28「JETROブースにて」(2001.4.17)
N0.29「ミスター 2ボトルを偲んで」(2001.5.4)
No.30「平山領事に贈る言葉」(2001.5.17)
No.31「人気テレビ番組は『おしん』」(2001.6.5)
No.32「動物スプーンは、カンバ族伝統の木彫り工芸」(2001.6.17)
No.33「自警団、その名はスングスング」(2001.7.3)
No.34「幻のサバサバ柔道杯2001」(2001.7.17)
No.35 「ブコバのコーヒー農園2001」(2001.8.4)
No.36「バナナ・ア・ラ・カルト」(2001.9.3)
No.37「ブコバ特産、干草製床用カーペット」(2001.9.17)
No.38「ブコバ特製オーガニックスプレーの作り方」(2001.10.3)
No.39「ザンジバルの建設現場風景」(2001.11.3)
No.40「ブコバの珈琲文化 1.ゆでコーヒーの実」(2001.12.3)
No.41「ブコバの珈琲文化2.生活篇」(2002.1.9)
No.42 「タンザニアの薬木代表、ムアルバイネ」(2002.2.3)
No.43「マンゴーを食べよう!」(2002.3.3)
No.44「マンゴーの木に登ろう!」(2002.3.28)
No.45「ザンジバル武道館完成」(2002.4.17)
No.46「ザンジバル武道館落成式」(2002.5.3)
No.47「サファリに行こう!」(2002.5.17)
No.48「コーヒーの脱穀風景」(2002.6.3)


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