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タンザニア便りNO.8〜NO.12



NO.8「アフリカフェの故郷ブコバ」
NO.9「アフリカフェの生みの親、TANICA社」
NO.10「コーヒーに最適な土地、ブコバ」
NO.11「ブコバでは、無農薬が当たり前」
NO.12「恐怖のこうもり男」





NO.8「アフリカフェの故郷ブコバ」(2000.7.16)



ジャンボ!アフリカフェフレンドの皆さん、お元気ですか?
きょうは、アフリカフェの故郷ブコバのことをご紹介しましょう。
ブコバは、タンガニーカ湖、マラウイ湖と並ぶアフリカ三大美湖、紀元2世紀の昔、ギリシアの地理学者プトレマイオスによって、その美しさを「月の山々の麓の湖」と称えられたビクトリア湖西岸にある、ウガンダとの国境の緑多き美しい町です。

首都のダル・エス・サラームからの行きかたは、飛行機でダル・エス・サラームからキリマンジャロ空港まで1時間15分、そこからムアンザまで1時間、そしてムアンザから小型飛行機に乗り換えて、美しいビクトリア湖上空を飛ぶこと1時間で、アスファルトのない赤土の小さな小さなブコバ空港に着きます。

ムアンザから定期船で、琵琶湖の100倍、世界第3の規模を誇るビクトリア湖をゆったり渡る方法もありますが、約10時間はたっぷりかかります。

上空から見るビクトリア湖は、海かと思うほど雄大で、夕方赤く染まりかけたビクトリア湖の向こうに、緑が多くなだらかな山々の間に赤い家が点在する、まるでムーミン谷のように美しくかわいらしいブコバの町が見えてきました。

ブコバは、エチオピアの血をひくハヤ族の町。
タンザニアは大小あわせて130にも及ぶ民族が集まって形成されており、今でもそれぞれの民族ごとに独自の言葉や文化、習慣を持っており、その人の特徴が語られる時、「何族出身か」が大きなポイントになります。

ハヤ族は頭がよく、何事においても研究熱心で優秀な民族ということで知られており、タンザニアで1つしかないダル・エス・サラーム大学卒業生、教授を多く出しています。
しかし、「ハヤ族は確かに優秀だが、学究肌なので商売っけに欠ける」とのことで、同じくコーヒーの町キリマンジャロ地方をしきるタンザニアの商売人部族代表、チャガ族と比較してこんな話をよく耳にします。

「同じコーヒーの町でも、商売人チャガ族の町キリマンジャロコーヒーは世界的に有名になったのに、ハヤ族の誇るブコバコーヒーはうまさでは群を抜き、タンザニア国内や東アフリカでは大いに認められているが、世界市場では今一マイナーである。これはハヤ族が研究には力を注ぐが商売上手でない証拠だ」。
これは、なかなか説得力のある説明だと思います。

ハヤ族は、このようにタンザニアの中で誰もが認める優秀な頭脳を持つ民族ですが、もともとエチオピアの血を引いていたり、国境の町ということもあり、昔から差別なく新参者を暖かく歓待し、自らもどんどん他国に出て行く積極性を持つフレンドリーな民族ということでも知られています。

私も、ブコバ滞在中は、気さくで温かいブコバの人々に囲まれて、自分が日本人であることを忘れるほどでした。これは、一見フレンドリーですが、実は保守的で閉鎖的な面を持つ島国ザンジバルや、多くの民族が寄り集まっているダル・エス・サラームでは味わえない感覚です。

ブコバは、住民の約90%が農民で、数本から何百本単位と差はあれど、ほとんどの人がコーヒーの木を所有しており、コーヒー栽培に関わっています。

タンザニア全体では圧倒的に紅茶党が多いのですが、ブコバの人々は断然コーヒー党です。
街頭には、炭でやかんに沸かしたコーヒーを、小さな椀に注ぎ入れて1杯売りをしているコーヒー屋がたくさんあり、どこも人々が木のベンチに腰掛けて、時には立ったまま、うまそうにコーヒーをすすり、談笑しています。

屋台では、ゆでコーヒーの実が売られていました。コーヒーの実を丸ごと食べるなんて考えたこともなかったので、バナナの葉で、ちまきのように三角にかわいく包まれて売られているものの中身がゆでたコーヒーの実だと知ったときは驚きました。ブコバの人々は、ゆったりとバナナの葉の包みを解くと、おもむろにゆでコーヒーの実を数粒口の中に放り込み、うまそうに噛んで食べるのです。

みんながあんまりおいしそうに食べているので、私も試しにかじってみました。コーヒーの香りが直に口の中で広がってなかなかのものでしたが、ぱりぱりした外皮の中にある豆が固くて固くて、私はやっぱりゆでコーヒーよりアフリカフェの方がいいなあと思いました。

ブコバの人は、このゆでコーヒーの実が大好きで、来客があると、まずこれを差し出すのが、客に対する歓迎と尊敬の証だそうです。

アフリカフェの故郷ブコバは、ビクトリア湖を金色に輝かせる朝日で始まり、紅に染める夕日で終わる町、湖畔では、白サギやコウノトリが優雅に遊び、なだらかな緑の小高い丘に囲まれた、物語の挿絵のように美しい町、そしてなによりも、コーヒーをこよなく愛する人々の町でした。

そんなブコバの人々が丹精こめて作ったコーヒーで、インスタントコーヒーを製造し、タンザニア国内だけでなく、東アフリカ、ヨーロッパ諸国、アラビア、南米等・・・世界に送り出しているのが、アフリカフェの製造元TANICA社です。

コーヒー工場と本社は同じ敷地内で、ブコバ空港からもビクトリア湖岸沿いに見渡せる位置にあり、車に乗って近づいていくと、100メートルほど離れたところから、すでにコーヒーのいい香りが漂っていました。
次回ののタンザニア便りでは、このTANICA社についてご紹介しましょう。
それでは、今日はこの辺で。次回までお元気で。
GOOD LUCK!!        Byムナワル








NO.9 「アフリカフェの生みの親、TANICA社」
(2000.7.16)





ジャンボ!アフリカフェフレンドの皆さん、お元気ですか?
今回はアフリカフェの生みの親、製造元のTANICA社についてご紹介しましょう。

TANICA社はブコバの人々から、「我々が愛するブコバのコーヒーを世界に広めてくれる我らの代表」と慕われながら、地元の人々と一体になって30年以上の長い日々を重ねてきた東アフリカで唯一のインスタントコーヒー製造会社です。

隣国のケニア、ウガンダも世界有数のコーヒー輸出国ながら、自国でのインスタントコーヒー会社がなく、自分の国からコーヒーを輸出しながらもインスタントコーヒーはすべて輸入というおかしなことになっていました。

タンザニアでは、それは変ではないか、東アフリカ全体にアフリカのコーヒーが行き渡るようにしようという目的で、1967年、このブコバの町に、TANICA社(タンガニーカ・インスタント・コーヒー・カンパニーの略)が設立されたのです。

設立当初は資本、設備、技術者、すべて白人によるものでしたが、1983年に白人資本から独立してからは、設備管理から経営まで一切をタンザニア人スタッフのみで運営している半官半民の会社で、白人資本からの独立後は、他国の援助に頼らずには回っていかないタンザニア経済を憂い、何とか自国でとれる上質のブコバコーヒーを世界に広め、タンザニア経済の一翼を担おうというスローガンの元で一丸となっている意欲あふれる会社です。

従業員はダル・エス・サラームにある営業所と合わせて98名、ほとんどが地元ブコバの人々で、

「TANICA社に入ったことを、今もコーヒー農園をしている両親がとても喜んでくれている。両親が一年かけて作ったコーヒーを息子の僕が、インスタントコーヒーにして世界に出せるのだから」

両親は一年に一度のコーヒーの収穫で得たお金をやりくりして、僕を学校に行かせてくれた。コーヒーに関わりながらも、毎月決まった給料がもらえるTANICA社に入ったことを、両親がとても喜んでくれている」

という話を、何人もの人から聞きました。
誰もがコーヒーの話をすると止まらないといった感じで、皆が仕事に誇りを持つと、こんなに明るい職場になるものなのかと感心しました。
丸4日間通う中、誰一人、嫌々この仕事をしていますといった感じの人がいなかったのですから。


そんなスタッフ達の信頼を一身に集めているのが、40代の若き総代、ちょっと北大路欣也に似た雰囲気のカレガ氏です。

アフリカフェの故郷ブコバは、コーヒーをこよなく愛する人々の町、そして、そのコーヒーを世界に送り出すTANICA社は,地元の誇りであり、そこから送り出されるアフリカフェは、ブコバの人々の期待を一身に背負った子供のような存在なのです。

私たちがブコバでの会社、工場、農園視察のすべてを終えたとき、TANICA社総代カレガ氏が、こんなことを言っていました。
「我々がこよなく愛するブコバのコーヒーから作ったアフリカフェを、トロワを通じて日本に輸出することになり、私たちは今、自分の子供を遠い日本に送り出すような気持ちでいます。

日本で通用するよう、こちらとしてもできる限りの努力は惜しみませんから、気づいたことは何でも言ってください。そして、日本の皆さんからの生の声を、ぜひ私たちに伝えてください」


タンザニアの人々から託されたこのアフリカフェは、私達にとっても、これから長い時間をかけて日本で育てていかねばならない大切な子供のようなものです。
アフリカフェフレンドの皆さんも、このタンザニア生まれのアフリカフェが大きく育つよう、アフリカフェに関するご意見、ご要望などがあったら、ぜひ教えてくださいね。
私たちトロワは、このアフリカフェを通じて、本気でタンザニアと日本の架け橋になりたいと思っているのです。

ということで、今日はこのへんで。
次回は、ブコバのコーヒー農園の様子をお伝えしますね。
GOOD LUCK!!         Byムナワル






NO.10「コーヒーに最適な土地、ブコバ」
(2000.7.18)






ジャンボ!アフリカフェフレンドの皆さん、お元気ですか?
今回は、アフリカフェの生まれ故郷、ブコバのコーヒー農園の様子をお伝えしましょう。

ブコバは90%以上が農民で、そのうちの99%が、何らかの形でコーヒー栽培に関わっています。

私たちは、ブコバ滞在中に、コーヒーの木5本という小さな農園から500本のコーヒー農園までいろいろ見てきましたが、ブコバには、農薬を使っている農園は1つもありませんでした。

ブコバでは、どのコーヒー農園も、コーヒーの木の周辺20センチ四方以外は一様に、エレファントグラス(象草)の干草が敷き詰められており、地面が干草で覆われていました。

コーヒーは、栽培過程において、充分な日照が必要であると同時に、根を痛めないために、地温を上げすぎないようにすることも、同じぐらい大切な条件です。
この干草は、地温調節、地面の乾燥防止(水分補給)、その上数カ月後には、干草は大地と一体化して堆肥となる、すなわち栄養補給、という3つの大きな役割を担っているのだそうです。

ブコバの中では大きな規模である、イシェンゴマ氏の農園見学に向かう途中、道端の草むらで、自分の背丈ほどもあるエレファントグラス(象草)をせっせと刈っている人を見かけました。

車を止めて話しかけてみると、やはり自分のコーヒー園に敷くためとのこと。

農園を見せてくださいとお願いすると、快く応じてくださり、75本のコーヒーの木が植わっているムシュルド氏のコーヒー園にお邪魔することになりました。

農園では、一歩踏むごとにさくさくと音のする、とても気持ちいい新しい干草の上を歩きながら、ムシュルド氏からこんな話を聞きました。

この農園全体に干草を敷き詰めるのに、丸2カ月はかかる。なんせ、全部手作業だからね。
そして、この干草がだんだん沈んで、約4カ月後には地面と一体化して堆肥になりそうなったらまた干草を敷き詰める。その繰り返しさ。

コーヒーは、手がかかるけど、年に一度の大切な現金収入源だから、大事にしないとな。
牛小屋から出る、糞混じりの土も、コーヒーの好物だよ。
俺は息子に、
『コーヒーのおかげで学校に行かせてもらえるんだから、コーヒーにも好物食わせてやれ』
って、毎日学校行く前に、牛小屋の掃除させているんだ。
俺も、親からそう言われて育ったからね」


どの農園でも、コーヒーの木のそばには必ずバナナ、さとうきび、マジンビ(さと芋)、その他の葉っぱの茂る木が植えてあり、農園の中は、なんだかごちゃごちゃしているのですが、それらも、日陰を作って地熱を下げるためのシェイドツリー(日陰用の木)として、立派な意味がある上、それぞれ根の長さが違う複数の作物を混作することで、地面の自然な循環体系を守り、それぞれが互いに害虫に対するバリアーの役目も担っているという、いいことづくめのアグロフォレストリーシステムそのもの(スワヒリ語では、混作農業のことを、キリモ・ムセト、またはキリモ・ムチャンガニコといいます)になっているのです。

その上、バナナはブコバの人々にとって一番の主食、さと芋も、もちろん食用です。このように、年に一度の現金収入源であるコーヒーを守る工夫をしながら、自分達が食べる主食を栽培し、土地を少しでも有効に使う工夫をしているのです。

コーヒーは、平均気温20度前後の温暖な気候と、適量の年間降雨量(1000ミリ〜3000ミリ)が必要で、それ以外にも、日当たりがよく、適当な日陰もあること、さらによく肥えた水はけのよい土壌であること、霜が絶対に降りないこと・・・etcこれらの条件のうち、どれか1つ欠けても育たない、とてもデリケートで手のかかる子供のような植物です。

だから、エチオピアから種を発したコーヒーは、世界中の人々から愛されるようになりましたが、現在でもコーヒーの生産地域は、赤道を挟んで、南北緯25度、つまり北回帰線と南回帰線に挟まれた熱帯、ちょうど地球を一周して帯状になっていることから「コーヒーベルト」と呼ばれる地帯に限られているのです。

しかも、そのゾーンに一致していても、暑さの厳しい地域は、栽培に適しません。熱帯でありながら、高原部の涼しい土地であり、なおかつ、霜は絶対に降りないのが条件という、とても難しい気候条件をかなえた土地でなければ、コーヒー栽培には適さないのです。

そして、その条件にぴったりなのが、このブコバの土地。

しかも、ここブコバは、それに加えて、上質のコーヒーの条件、朝夕の気温差の大きい高地(ブコバ一帯から広がるコーヒー農園地帯は、標高1,500〜2,100m)という条件まで見事に満たしているのです。

これは、気温差が大きいほど、コーヒーの実が固くしまり、酸味や香り、こくの多い上質な豆になるためで、国内で高度差のある中南米のコーヒー産地国の、格付け方法にも、産地高度が採用されており、コーヒーの品質の優劣を語る上での、重要なポイントとなっています

。私がブコバに行った時も、日中は半袖一枚でも暑かったのですが、夕方から朝までは、ジャケットを着込んでも寒いほどで、暑い海岸部のダル・エス・サラームから飛んで行ったので、震え上がってしまいました。ちなみにその日、日中は28度、夜は16度でした。

このように、コーヒー栽培の最適条件を兼ね揃えたブコバで生まれ、ブコバの人々の知恵と愛に守られながら育ったコーヒーを、地元の代表TANICA社が、これまた製造過程において、一切化学薬品を使わない方法でインスタントコーヒーにしたのが、アフリカフェです。

私たちトロワが、このアフリカフェを、タンザニアの極上インスタントコーヒーと銘打って、自信を持ってお勧めしている理由が、皆さんにもわかっていただけたでしょうか。
ということで、今日はこのへんで。
次回も、引き続き、アフリカフェの故郷ブコバについてお便りします。
それでは、次回のタンザニア便りでお会いしましょう。
GOOD LUCK!!       Byムナワル







NO.11「ブコバでは、無農薬が当たり前」(2000.7.18)

ジャンボ!アフリカフェフレンドの皆さん、お元気ですか?

前回、アフリカフェの故郷ブコバは、とてもデリケートな植物であるコーヒー栽培に関して、満たさねばならない難しい自然条件のすべてをクリアし、しかも上質なコーヒー豆になる条件である、朝夕の気温差が大きい高地という点までも満たす、コーヒー栽培に最適な土地であることをお話しましたね。

しかし、いくら最適な自然条件に恵まれ、研究熱心な人々が手塩にかけても、苗木を植えて、成木になり、初めての収穫まで3年という長い年月、そして結実後も、年に一度の収穫時に至るまで、コーヒーには様々な天敵が待ち受けています。雨が足りなかったり、逆に多すぎたり、そして、コーヒーを襲う害虫や、カビ病・・・。それらからコーヒーを守るため、ブコバの人々は、一切の農薬を使わず、様々な工夫を凝らして対処していました。

まず、干草を敷くとき、コーヒーの木の根元には直接置かないで、必ず20センチ四方の空間を作り、地面と木の根元が見えるようにしておく。虫は、他の木や草から移ってくるので、こうして、空間を空けておくことで、干草から這い出してコーヒーに向かう虫を、肉眼で発見できるようにするためだそうです。

そして、万が一、害虫やカビを見つければ、煙草でいぶしたり、コーヒーの木の周りの地面をぐるりと掘って、その中にアロエやニームの煮汁をまいたり、直接木に塗ったり、霧状に噴きかけたり・・・、そうやって一切農薬に頼らず、薬草で対処していました。

そして、「俺のとこは、たった5本しかないけど、やっぱりブコバの人間である以上、自分の土地にコーヒーの木がないとさびしいからな。
TANICA社で働いている息子が、1年かかって作った俺のコーヒーを、アフリカフェという立派な製品にしてくれるのが、何よりの喜びさ」

と、好物のゆでコーヒーの実をかじりながら笑っていたファビアン氏から、500本以上のコーヒー農園を3つも持っているイシェンゴマ氏まで、たくさんの人から話を聞きましたが、農薬に関する質問に対しては、誰からも全く同じ答えが返ってきました。

「ブコバの人間は、農薬なんか使わないよ。当たり前だろ」
「どうして農薬を使わないのが、当たり前なのですか?」
「第一、 農薬なんか買う金がないし、農薬は毒と一緒だと聞いてるからね」

そして、ブコバ農業発展のために、コーヒー栽培に最適な自分の土地の一部を提供して、コーヒー、バナナ、バニラ、しめじなどの栽培法や品種改良の研究をして、それを地元農民に指導する目的とする、ブコバ独自の農業研究所を創立した人物を父に持ち、自分も常に農業研究所の人々とディスカッションを繰り返す中で、データに裏付けされた知識と、長年の実践経験から得た知識を、自分のコーヒー農園で生かしながら、ブコバの小さな農園の間を自らオートバイで走り回り、より上質なコーヒーの栽培法を指導して回っている、ブコバ農業界のリーダー的存在であるイシェンゴマ氏は、何の気負いもなく、こう続けていました。

「それに、農薬なんて使ったら、俺たちの大事なブコバの土地が大なしになってしまう。そんなことになったら、俺は親父に申し訳ないよ」

「俺は毎日牛舎から牛の糞がまざった小屋の土を、トラクターで畑に運んで堆肥を作り、畑からは、刈り取っておいた干草を山ほど積んで牛小屋に帰るのさ。どちらも金のかからない最高の肥料であり飼料だからね。でも、農薬なんか使ったら、害虫だけでなく益虫まで死に、悪い草だけでなく、使い出のある大切な草まで生えなくなってしまうんだよ」

「俺は今47歳、死ぬまでこのブコバの土地を耕し、最高のコーヒーを作っていくよ。
転職なんて考えたこともない。俺は、ブコバのコーヒーが大好きなんだ」


「俺は、ブコバのコーヒーが大好きなんだ」
ブコバ滞在中、私は何度この言葉を聞いたかわかりません。

コーヒー栽培に最適な自然条件に加えて、研究熱心なブコバの人々の手で、こんなにも愛され、しかも、農薬や化学肥料を一切使わない有機農業で大切に育てられたコーヒーを、TANICA社が、これまた製造過程で一切の化学薬品を使わず、丁寧に製品化しているのですから、アフリカフェが上質の美味しいコーヒーに仕上がるのは、当然のことかもしれません。

そして、これがまた、私たちトロワが、タンザニアの大自然と、タンザニアの人々が生んだ極上コーヒー、アフリカフェを、日本の皆さんに自信を持って紹介し、お勧めする由縁でもあるのです。

ということで、4回連続で、アフリカフェの故郷ブコバについてお伝えしたので、次回は、がらりと話題を変えて、タンザニアで一番怖がられている「恐怖のこうもり男」のことをお伝えしますね。
それでは、次回のタンザニア便りでお会いしましょう。
お元気で、GOOD LUCK!!      Byムナワル







NO.12「恐怖のこうもり男」(2000.7.18)





ジャンボ! アフリカフェフレンドの皆さん、お元気ですか?
今日は、タンザニアの人々が恐れている「こうもり男」のことをお話しましょう。

この「こうもり男」出現のうわさは、タンザニアで年に一度程の割合で、まことしやかに流れてきます。

ある人が、夜寝ている時に襲われて、翌日には体中ばらばらに刻まれていたそうだとか、こうもり男は子供が好きで、暗くなっても遊んでいる子を捕まえて、血を吸ったあげくに、子供の皮をはがし、ウガンダに売りに行っているらしいとか・・・その年によっていろいろなエピソードがつきますが、

人間の顔をしているが、こうもりのように背中に羽があり、どこにでも出現する
「夜目が利くので、人間を襲うのは夜に限られている」
「子供は夕方以降に、大人は、誰もが眠っている真夜中に襲いに来る」
「子供の場合は皮をはがれ、その皮はウガンダで売られる」
という点は一致しています。

日本でも、トイレに関わる怪談話が、話す人によって、トイレから花子さんの泣く声が聞えるとか、3番目のトイレに青い手が浮かんでいるなど、いろいろバージョンがかわるのと同じでしょうね。

どこの国でも、こういった怖い話を一番信じるのは子供たち。
だから、大人たちは、夕方のお祈りの時間になっても、遊びほうけて帰ってこないような子供には、出かける前に「暗くなると、こうもり男に襲われるから、遅くなるんじゃないよ。もうこの3日間で5人の子供が殺されて皮をはがれているんだからね」
といかにも本当らしく話しておきます。

そしてさらに、
「歯磨きをしないで寝ると、食べ物の匂いをかぎつけたこうもり男がやってきて、お前の口にかぶりつくよ」

「手足を洗わないでベッドに入ると、汚いものが好きなこうもり男がやってきて、汚れた手足をぺろぺろなめた後で、皮をはがれちまうよ」

という具合に、子供の日常での様々な場面で、こうもり男が登場するので、子供同士の中でもまたさらにうわさが広がり、怖がりの子は、こうもり男が怖くて夜トイレにもいけず、おもらし・・・なんてことにもつながっているようですが、これもどこの国でも同じでしょうね。

それにしても、このこうもり男、はいだ子供の皮を、ウガンダで売っているというのが、特徴的だと思いませんか?

タンザニアの人々は、
「ウガンダはタンザニアよりも、もっと土着信仰や呪術が浸透していて、子供の皮はそれらの儀式や、薬を調合するのに欠かせないんだ。でも、ウガンダの中では、なかなか子供の皮が手に入らないから、こうもり男はそれに目をつけてタンザニアで子供の皮をはいでは、ウガンダに売りに行って商売しているのさ」
ともっともらしく言うのですが、もちろん真偽の程はわかりません。

妖怪であるこうもり男が、子供の皮をはぐというところまでは、普通の怪談らしいのですが、そのこうもり男が、子供の皮を売って金儲けをしているということになると、妖怪らしさが半減し、とっても人間臭くなってしまうと思うのですが、皆さんはどう思われますか?

とにもかくにも、タンザニアの人々の恐怖の的は、この恐ろしくもずいぶん人間臭い「こうもり男」なのです。

毎年のように流れる「こうもり男」のうわさを聞いたり、時には、誰が描いたのか、むきむきの肉体美の男性の体に、こうもりの顔と羽がついた「こうもり男」のビラが出回り、あちこちの壁に貼られているのを見ると、日本でも20年以上前から、繰り返し繰り返し語られている「口割け女」のことを思い出します。

「お岩さん」や「番町皿屋敷」のように、主人公の悲劇性がストーリーの中心となる、人間の怨念の塊といったお化けよりも、なんだか正体はわからないけど怖そうで、それでもちょっと見てみたい気もする「口割け女」といった妖怪の方が、タンザニアの人には受けるんじゃないかなと思います。

そよそよと揺れる柳の下で、白い着物をだらんとさせて、「恨めしや〜」と出てくる日本のお化けは、いくら丑三つ時でも、天高くまっすぐ伸びているココナッツの木の下には、似合いそうもないですよね。

さて、この「こうもり男」の中には、お話の中だけでは収まらず、現実の世界に飛び出してしまった者たちもいます。
それは、近所の嫌われ者や乱暴者たち。人々は、そういう輩を、蔑視を込めて「こうもり男」と呼ぶので、
「こうもり男が来たぞ」
タンザニアの人はこう聞くだけで、ありがたくない存在がやってくるとわかるのです。

最近になって新たに、このありがたくないニックネームを付けられてしまったのが、今年の10月に迫ったタンザニア総選挙の取締りで熱くなりすぎ、過度な取締りや不当な訊問で不評を買っている、一部の特別警察の面々です。

5年ぶりに行われる10月の総選挙にあたり、熱くなってきたタンザニアの人々の様子を見るたびに、国民の意志が尊重される、正当な選挙が行われることを、切に望む今日この頃です。

それでは、今日はこの辺で。
次回のタンザニア便りまでお元気で。
GOOD LUCK!!      Byムナワル



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