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タンザニア便り '00年9月

NO.13「小規模だからこそできる有機農業」(2000.9.11)
NO.14「オリンピックって何?」(2000.9.27)



NO.13「小規模だからこそできる有機農業」(2000.9.11)
ジャンボ!アフリカフェフレンドの皆さん、お元気ですか?
今回は、アフリカフェの故郷、ブコバの有機農業の実態についてお話しましょう。
まず、タンザニアの農業は、大地主がいて、安い金でたくさんの小作人を雇って運営されている大規模農業ではなく、家族単位の小さな農園の小規模農業がほとんどです。
ですから、TANICA社に、初めて「ブコバには大体どれぐらいのコーヒーの木があるのですか?」と質問した時に、「各農園が勝手気ままにコーヒーを植えており、せいぜい数十本の農園がほとんどで、そういった統計は出されていないのです」と困った顔で言われたときには驚きましたが、実際にタンザニア農業の歴史を調べ、ブコバに行ってみると、本当にほとんどが小規模農園ばかりなので、なるほどとうなずけました。
そして、ブコバの農園では、大抵、赤レンガの家のすぐそばに牛小屋があり、そこから出る牛糞と土を混ぜて天然肥料を作っては農園に撒き、どこにでもはえているエレファントグラス(象草)で、せっせと干草を作っては、牛にやったり、農園に敷き詰めたり・・・という具合に、牛とコーヒー農園は必ずといっていいほどセットになっているのを見たとき、小規模だからこそ、土作りから自分の手で作る、伝統的有機農業を守っていられるのだな、ということにもいきあたりました。
ブコバでは、こういった伝統的有機農業を、ただ守るだけではなく、ブコバ農業の発展に情熱を注ぐ所長のカマンド氏を中心とした、農業研究所の皆さんが、自らの頭脳と、創意工夫を結集して作るコーヒーの苗木や、アロエや煙草の煮汁から作ったスプレーを常備し、研究所を訪れる農民に、ただ同然の値段で分けている姿を見、またそれとは別に、ブコバでは、地元農民を対象にした農民の、農民による勉強会があちこちで開かれていることも知りました。
私たちがコーヒー見学に行った地元農民のための公開農園の一角でも、ちょうど「牛はどれだけ生活に役立つか」というテーマでのセミナーが行われており、講師を務めていたソンベ氏は、昼間から集まった男女合わせた約20人の農民を前に、実際に大きな乳牛を一頭題材にしながら、「乳が得られ、健康にも役立つし、たくさん出れば、毎日の現金収入につながる」「子を産み、増やして肉用に売れば、まとまった現金が得られる」「牛の糞は最高の堆肥である」「牛糞は乾かすと、燃料にもなる」「牛は、農作業にも使える」と説明しながら、「早く子を産ませるためには」「乳の出をよくするためには」「毎日の記録のつけ方は」「土作りにいい糞をさせるには」といった矢継ぎ早に出る質問に答え、時には彼らと議論しながら、真剣な授業をおこなっていました。
この姿は、まさに、研究熱心なハヤ族という言葉とぴったり一致し、こんなブコバの人々の努力と、研究と愛情の結晶のようなコーヒーからできているアフリカフェを、日本の皆さんに紹介するのは、私達の使命であると感じました。
このように、ブコバでは、天から与えられた、素晴らしい気候条件と土壌を生かし、昔からの伝統的有機農業が続くと同時に、さらによりよい土壌作り、よりグレードの高い有機栽培コーヒーをめざし、農民自身が日々、たゆまぬ努力と研究を続けています。
だから、いくら時代が変っても、ブコバの土地はけして農薬や化学肥料に荒らされることなく、より肥えた土地となり、よりうまいコーヒーが生産されつづけられることは想像に難くありません。
アフリカフェは、知る人ぞ知る、タンザニアの伝説のコーヒー、今まで一度も日本に紹介されなかったのは、私たちトロワとの出会いを待っていてくれたとしか、どうしても思えないのです。
MUNAWARより


NO.14「オリンピックって何?」(2000.9.27)
ジャンボ! お元気ですか? 日本は、柔ちゃんこと田村亮子選手の3度めの正直で勝ち取った金と、野村選手のオリンピック二連覇という大偉業の金メダルで幕を開けたシドニーオリンピックで、日本中がわき返っていたことと思います。
タンザニアからは、オリンピック参加選手5人(全員がモシやアリューシャという内陸部出身の陸上中距離走者)、ザンジバル出身者はゼロ。もちろんオリンピックのテレビ中継もなく、世界中の関心を集めているオリンピックにも、皆驚くほど無関心です。話を向けても「オリンピックって何?」と聞き返されることも多く、オリンピックの話題を共有できないのは、何とも残念でした。
タンザニア国民の関心は、とにかく10月28日に迫った5年に一度の総選挙(大統領選挙を含む)に集中しています。老若男女を問わず、二人集まれば選挙の話という具合で、そこには、日本のように「誰がなっても生活は変らない」というしらけムードは微塵もありません。大統領が変れば、生活が180度変ると本気で信じ、自分の1票に大きな価値を見出しています。
今度が、複数政党になって2回めの選挙、それ以前にも選挙はありましたが、1党で、大統領も候補一人という、事実上は選択権のないのと同じものでした。複数政党が導入されて十年足らず、選挙は2回目という歴史の浅さは、人々に、選挙とは、自分で自分の国を治める人を選ぶことという強烈な意識をもたらせているようです。日本も、戦後成人男女が皆平等に選挙権が与えられた直後の選挙は、きっと今のタンザニアと同じように、国民の誰もが政治に関心を持ち、自分の持ちえた選挙権を精いっぱい有効に使うために、ニュースに耳を傾け、政治集会に参加し、国を担うに値する政治家を自分の目で吟味して、選挙当日に臨んでいたことでしょう。
日本では、多くの人が、自分の生活に関わりのないスポーツの祭典、オリンピックに関心を持ち、テレビの前で一喜一憂し、日本選手のことだけでなく、外国の選手の名前まで覚え、素晴らしい技を賞賛することができ、それらが共通の話題となっていますが、やはりそれは、日本が平和で、人々の生活が安定しているということでしょうね。
タンザニアといえば、すぐにイカンガーを連想する人も多いぐらい有名で、日本をはじめ、世界にタンザニアの名を揚げた功労者のマラソン選手、ジュマ・イカンガーのことすら、タンザニア国民自体の中ではほとんど知られていません。この国では、そういったスポーツに関する情報自体が非常に少ないのです。貧しく国民の生活が不安定な国では、やはり自分達の日々の生活に即したもの以外には、関心を抱く余裕がもてないものなのだなあと、ここ数年思うようになりました。
イカンガーと言えば、1983年12月4日の福岡国際マラソンで、瀬古利彦選手と競り合い、優勝は逃したものの、1位の瀬古選手とわずか3秒差、2時間8分55秒という好タイムで2位になって一気に注目されるようになったのを皮切りに、1984年東京国際マラソン優勝、1986年には、東京国際マラソン、福岡国際マラソンの両方を制し、タンザニアの黒豹イカンガーの名を不動のものにしました。小柄ながらスピード感に溢れ、特に最終トラックに入ってからの見事なダッシュに、中山選手をはじめ、日本選手たちが競り負かされていく姿を、今も覚えている方が多いのではないでしょうか。というように、日本の舞台で有名になった選手なので、イカンガーと日本の関わりは深いですね。
このイカンガーが、初めて日本に行くための手続きで、ダル・エス・サラームにある日本大使館に、日本のビザを取りに来ていた時、ちょうど居合わせたという私の知人が、後日こんなエピソードを語ってくれました。
その当時、タンザニア人で日本に行く人などほとんどいなかったので、日本大使館に来て、黙っておとなしく待合室の椅子に座っているタンザニア人の姿を不思議に思って話し掛けてみると、小柄なイカンガーが、「日本で開かれるマラソン大会に出場するために、日本ビザを申請に来たんだ」と言ったのですが、その時、知人は、まさかその後イカンガーがそんな大選手になるとは夢にも思わず、「こんな遠い国から日本まで行って、ただ負けて帰ってくるのか。大変だなあ」と思いながらも、イカンガーの肩を叩いて、「がんばれよ」と激励して別れたそうです。
その後、タンザニアでは全くイカンガーの名前を聞かず、イカンガーに会ったことすら忘れていた彼が、イカンガーの活躍ぶりを耳にしたのは、数年後日本に帰った時のことでした。彼は、大使館で会った小柄でおとなしいマラソン選手のことを思い出し、とても嬉しかったと同時に、イカンガーに対する本国のタンザニアでのそっけない扱いと、日本での大きな報道ぶりのギャップにとても違和感を覚えたそうです。
何はともあれ、イカンガーは今も、自分のホームタウン、キリマンジャロ山に次ぐ高さを誇るメルー山の麓アリューシャで、若手育成のために力を注いでいます。イカンガーに育てられたタンザニアのマラソン選手達が、いつの日か必ずまた、日本のマラソン大会で活躍して「イカンガー2世」と大々的に報道されることでしょう。
また、イカンガーは、1988年ソウルオリンピックに出場し、メダルは持ち帰れなかったものの、7位という記録を残しています。タンザニアは、日本がボイコットした1980年のモスクワオリンピックで、5000m、3000m障害で2つの銀メダルを獲得して以来、メダルから遠ざかっています。シドニーでの20年ぶりのメダルも、残念ながら達成できませんでした。
いつの日か、タンザニアの選手達がオリンピックで大活躍して、メダルを持ち帰ることができる日を夢見ると同時に、その頃には、タンザニアの人々の生活にも、スポーツを楽しむゆとりができて、国内でも少しはスポーツに対する取り扱いが大きくなっていてほしいと、心から願っています。
MUNAWARより


NO.1「ジャンボ!」(2000.4.15)
NO.2「タンザニアのゴールデンウィークは大雨期の真っ最中」(2000.5.10)
NO.3「ジャンボ、ベイビー! (こんにちは、赤ちゃん)」(2000.5.18)
NO.4「カンガ(布)は語る」(2000.5.25)
NO.5 「日本はぼた餅、タンザニアはタコとサメ!」(2000.6.12)
NO.6「リズム感のルーツは子守唄にあり」(2000.6.28)
NO.7「日本は七夕、タンザニアはサバサバ!」(2000.7.11)
NO.8「アフリカフェの故郷ブコバ」(2000.7.16)
NO.9「アフリカフェの生みの親、TANICA社」(2000.7.16)
NO.10「コーヒーに最適な土地、ブコバ」(2000.7.18)
NO.11「ブコバでは、無農薬が当たり前」(2000.7.18)
NO.12「恐怖のこうもり男」(2000.7.18)
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