TANZANIAN PEOPLE
〜アフリカフェの故郷タンザニアで活躍する人々〜


NO.5 「スクマ族の首長、マトゥンゲ氏に聞きました!」(2004.9.1)


 ジャンボ!アフリカフェフレンドの皆さん、お元気ですか?
 今日は、タンザニアの最大民族、スクマ族の首長、マトゥンゲ氏のことをご紹介しましょう。

 タンザニアは、人口約3,200万人。国の中には、120以上の民族があり、100万人を超す最大民族は、ヴィクトリア湖南岸からセレンゲティにかけて居住しているスクマ族です。
 
<タンザニアの首長制度>

 タンザニアは、タンザニアという国になる以前は、各民族にそれぞれの首長がいて、首長を中心に政治、祭事を行い、それぞれが自治をおこなっていました。各民族は、それぞれの言葉を持ち、独自のおきてや習慣、文化を持っています。

 国の名前が「タンザニア」となり、120以上の民族が「タンザニア人」と呼ばれるようになり、民族主義から脱却した「タンザニア」を建国する目的で、各民族の首長の存在を否定されました。
 それは、強い民族主義があれば、新しい国として統治するのは難しいので、ある意味でしかたがないことだったのかもしれません。

 しかし、各首長は、政治的なことだけではなく、ムガンガと呼ばれる「薬剤師」兼「呪術師」の存在とも深く結びついており、日照りが続いたときのおまじないから、民族間の戦いに出るときの吉凶を占うことに始まり、怪我や病気の際の薬をせんじる漢方医(タンザニアですから、「タン方医」とでも言いましょうか)」のような役目まで果たしており、人々の生活と深く、深く結びついていました。

 それが、「タンザニア」という国になったことから、首長制度はなくなっただけでなく、今までタンザニアの人々が日常に使っていた薬草や動物から摂取する自然薬をも否定され、薬は薬局で売られる西洋薬しか認められない時代が来ました。そして、「タン方医」が処方する自然薬は非合法とされ、取締りを受けることになってしまったのです。

 マトゥンゲ氏は、代々「タン方医」ムガンガであり、シニャンガの一地方での首長でもありました。しかし、時代の流れによってその存在が否定され、それでも、自然薬を求めに来る人々のために非合法の元で薬を処方する日々が続きました。
 
マトゥンゲ氏もこの時代の波に逆らえず、一時期ムガンガをやめて、メカニズムの勉強をしていたことがあったそうです。

 しかし、人々が代々信じ、使い続けてきた自然薬の中には、すばらしい治癒力を持つものもたくさんあり、高い西洋薬を買うことのできない人、西洋医学では治らない病気を持つ人々は、いくら非合法になっても、地元の元首長であり、薬剤師でもあるマトゥンゲ氏の元を訪れます。

 マトゥンゲ氏は、あるとき、
 「なぜ、先祖代々使われてきた自分達の薬を、非合法でしか使えないのか。なぜ、西洋の薬だけしか使えないのか。西洋の薬だって、始まりは自然の木や草から作ったものだったのではないか?」

 そして、もう一つ、
 「各民族の首長制度を否定する必要はない。タンザニアという国ができた今でも、それぞれの文化や歴史を子孫に伝えていくのは、重要なことだ」
 
 と考えるにいたり、1987年、自らスクマ族の文芸復興と自然薬の合法化を唱える運動を始めたのだそうです。もちろん、これは、政府の意向に反する姿勢ですから、その当時では、反乱分子として投獄の可能性も大きく、周りはこぞってマトゥンゲ氏をいさめ、
 「政府が決めたことを、ひっくりかえすことなどできるわけがないから、やまたほうがいい」
 と口をそろえたそうです。
 
 しかし、マトゥンゲ氏は、
 「自分達の文化伝統を復興すること、そして、代々使っていた有効である自然薬の合法化を唱えることのどこが悪い」
 ととりあわず、たった一人で、厚生省の大臣に掛け合い、初めは否定されたものの、粘り強く交渉し、数年かかって自然薬の合法化が認められました。
 
 現在では、タンザニアの国立病院であるムヒンビリ病院の中にも、きちんとこれらスクマ族が使っている自然薬が、スクマ語名と英名、薬効が書かれた一覧表となり、一つ一つがタンザニアの薬事法の元で立派に認められ、使われています。
 
 首長制度と文芸復興という面では、スクマ族に伝わる歌や踊りの復興、伝統や習慣を若者に伝え、スクマ族であることに誇りを持たせる活動など、様々なことを提案し、行動に移す中で、彼を慕う人々の声が大きくなっていった結果、1993年、マトゥンゲ氏は、正式にスクマ族の首長として、タンザニア政府によって公認されました。
 
 1997年、そのお披露目式が開かれたのですが、スクマ族の首長としての伝統衣装、ライオンの皮で作られたジャケットに豹の帽子、首長の象徴である宝貝の数珠を幾重にも巻いた姿で臨んだそうです。

 いろいろなお話を聞いて、最後にそのときの写真を見せていただきましたが、私には、まさに首長という名にふさわしい、堂々とした姿に映りました。
 
<スクマVSマサイ>

 スクマ族は、もともと牧畜民で、同じように放牧をするマサイ族と牛の取り合いで抗争を繰り返してきたという歴史があり、スクマ族とマサイ族は犬猿の仲。今でも、マサイ族が、赤い布の民族衣装でスクマ族の村に入るのはおきて破りの行為なのだそうです。
 
 そんなスクマ族とマサイ族との牛をめぐる攻防は、昔々の物語ではなく、21世紀を迎えた今でも続いています。
 
 マトゥンゲ氏がスクマ族の首長に復活して、人々に一番喜ばれたのは、首長としてマサイ族の代表と牛について話し合ったこと。
 これについては、私自身、スクマ族の人々が
 「マトゥンゲ首長は、我々スクマ族のために、マサイ族と話し合ってくれた」
 と大いに感謝しながら話すのを聞いています。
 
 マトゥンゲ氏がスクマ族の首長となったことをきっかけに、現在タンザニアでは、各地でも伝統文化復興の動きがおこっており、長年すたれていた伝統行事が復活したり、自然薬の価値を見直す風潮にあるとのこと。
 今では、スクマ族の首長という枠を超えて、あちこちの民族の祭事には、タンザニアにおける伝統文化復興の祖として招かれ、民族間を越えた交流の輪が広がっています。
 
マトゥンゲ氏と話していると、数々の薬草のお話、牛追いの仕方から、弓の使い方(スクマは狩りのときに毒矢を使います)、スクマ族伝統の歌や踊り・・・たくさんのエピソードが次から次へと続いて、毎回時間がたつのを忘れてしまいます。
 
<墓参り>

 驚くこと、不思議なこと、笑えることいろいろですが、私の心にしみじみと残っているのは、スクマの人々のお墓参りの習慣です。
 スクマの人々は、墓石(といっても日本のような墓石ではなく、そこらの石が目印になっているだけのものです)の周りを家族で掃除し、祖先をたたえ、これからも私たちを守ってくださいという祈りの歌を歌い、その後で、皆それぞれが持参したものを墓石になすりつけます。

 水、粟、豆、酒・・・食べ物は何でもいのですが、墓参りに欠かせないものは、牛乳と牛脂と牛糞なのだそうです。(牛糞もスクマの人々にとっては欠かせない大切な燃料です)
 牛に始まり、牛に終わる生活をしていたのは、マサイ族だけではなく、スクマ族の人々にとっても同じこと。そうでなければ、何代も生死をかけて、牛のために戦ったりはしないでしょう。
 「スクマ族であれば、牛からの贈り物を一番喜んでくれるからよ」
 というリヨンゴ夫人の言葉が印象的でした。
 
 ということで、今日は、タンザニアで首長制を復活させ、自然薬を合法化させたマトゥンゲ氏の言葉で締めくくりましょう。
 
 「現在、タンザニアに住む若者は、自分が何民族であるかは知っていても、先祖の歴史や生活に必要な知識や伝統を習う機会なく成長してしまうので、このままでは、各民族の伝統や文化が無になってしまいます。
 
 私は、スクマの伝統や文化だけでなく、それぞれの民族が、子供達に祖先から培われた伝統文化を教え、タンザニア人であることと同時に自分の民族に誇りを持ってほしいと思います。
 
 私が、たった一人でこの活動をはじめたとき、私は大臣に向かってこう言いました。
 『私たちスクマは、お金がほしいのではなく、自分達の文化や伝統がほしいのです』
 今もそれと変らぬ気持ちです」
 

  ということで、今回は、TANZANIAN PEOPLE、5人目のゲストとして、タンザニア最大民族スクマの首長、マトゥンゲ氏に、お話を伺いました。
 マトゥンゲ氏の言葉から、私もいろいろなことを考えさせられました。皆さんはどんな感想をお持ちでしょうか。
    
                                        ムナワルこと 島岡 由美子拝 


<マトゥンゲ氏プロフィール>
名前 ジェームス・キララ・マトゥンゲ
生年月日  1951年12月10日
出身地 シニャンガ
血液型  B型
好きな言葉 ☆山と山は会うことはできないが、人と人は会うことができる
☆座っているだけでは、ひもじくなるばかりだが、歩けば、利を生む。
(だから、人は一生懸命働かなくてはいけない)
好きな食べ物 牛乳、ウガリ、牛脂、
干し牛肉(スクマ語で、ンゴメラ)
そのほか 犬好き(犬は礼儀正しく、尊敬の念を持っているから)
 猫嫌い(猫は無礼で、恩知らずだから)